それぞれの地獄に思いを馳せる

前々職の同僚からなんかのときに「職業に貴賎はない、人それぞれに地獄がある」という内容(と記憶しているけど違ったかもしれない)の話を聞いて、このフレーズがよく頭に浮かんでくる。

自分にも小さい地獄がある。例えば、平日の朝ごはんと夜ごはんをつくりながらはたらくこととか、半年前に今までにないタイプの病気になったりとか、それを地獄と呼ぶかはさておき、ちっちゃく大変なことは日常にあったりする。

しかしながら、一緒に働いていたり、朝挨拶をしたり、普通に人と接している分にはその地獄は見えない。地獄はその人の中に常に横たわっている。けれども地獄がないかのように、地獄を人に感じさせることなく働いて、生きている。これはもちろん地獄が見えたとしてそれを否定するものではない。

地獄との距離感

だから人の地獄は多くの場合見えないし、基本的に見える必要はない。

私の場合は、今は、「地獄がないように接して、地獄に思いを馳せる」というスタンスを取ることが多い。取ることが多いと書いたのは、接する人やチームなどなど環境や距離感によって変わってくるからだ。と言っても地獄に無理には触れていかないのは共通かもしれない。

地獄に思いをはせる

別に常日頃地獄に思いを馳せているのでは当然なく、これまた小さい話になるけれど例えば家族が夜になって少しダラダラーとしているような気がしてきたときに「ダラダラしてない?」「ドンドン寝る準備して!」とかから入るよりは「今日は保育園が大変だったかな」「ちょっと体調わるいかな」とか、ちょっとだけ思いを馳せる。

家族の中でも見えないことがある。だから友達や仕事の同僚はさらなりですよね。もちろんその相手の地獄を決めつけたり、邪推することをしたいわけではなく、「人それぞれの地獄がある」という考えを持つことで人への配慮の余地ができたり、自分の中の感情を沈めたりできるよなー。みたいなそんな話でした。