2019/12/10

わたしは高校生の時教室の端の席で確かに窓の向こうを眺めていた。それは何かを見ていたのではなくて、窓の向こう以外の世界に見たくないものがあっただけだった。

あの時窓の外を眺めていた高校生は倍の年齢を重ねて、窓の外ではなくて実務という課題を眺めて眉間にシワを寄せている。歳月はわからないものだと思う。

あの時、たぶん、大人というものの印象はそこまで良くはなくて、つまらない物事に心を殺して取り組むような存在だと思っていた気がする。

しかしわたしはもう大人なので、実は大人はそうではないことを知っている。辛いこともあるが、 (これは内緒なのだけれど)大人っていうのはワクワクして、ヒリヒリして、ジェットコースターのようにワンダーだ。

今日なんてのはとびきりにスウィートだった。

今日は一生懸命役目を全うしている人々に人生の機微をお裾分けしてもらった。そのたびにわたしはほんのり感動してしまう。じぶんが時間を重ねて取り組んだことが誰かにほんの少しでも伝わったり、そんな人に関われていることに喜びを感じる。本当にスウィートだと思う。

確かに高校生のわたしは窓の外を眺めていた。江國香織の小説を読み耽っていたわたしにとっての素敵な大人はスマートで仕事も早々に切り上げてお風呂上がりにジャズが流れてる部屋でセブンアップを開けるような存在だった。

今でも時折窓の外を見たくなる時があるにはあるのだけど、充実している。じゅうじつしているという言葉は少々安易なので、どちらかというと向き合ってるという言葉が適切な感じがする。

いま、身の回りには向き合ってる人がたくさんいるので、それがすごく貴重な環境であることを感じてる。その人たちと比べるとわたしは全然向き合えていない。もっともっとだ。

高校生の時の自分は窓の外で何を見たかったんだろうなと思う。今の自分は彼になんて声をかけることができるんだろう。そんなことを今日思った。