ドリカムが怖い。やさしいキスをしてが怖い。
先週の金曜日に仕事をしながら懐かしい曲を聞く選手権をやっていたら、「やさしいキスをして」が流れてきて、最後の間奏のところを聞いてて「あれこんな曲だったけ?」となって一曲だけリピートして聴いてたらいくつか気づいたことがあった。
曲の構成
この曲の構成は
- イントロ
- Aメロ
- 間奏
- Aメロ’
- 間奏
- Aメロ”
- Bメロ(サビ?)
- Aメロ”’
- アウトロ
という感じになってる。
よくありがちなJ-POPの場合は
- イントロ
- Aメロ
- Bメロ
- サビ
- 間奏
- Aメロ
- Bメロ
- サビ
- 間奏
- (Cメロ)
- 大サビ
- アウトロ
みたいな感じなので結構特徴的な構成になっていると思う。海外の 主題メロディを中心にした主題メロディ + 展開 という曲構成のほうが近い。しかしながらブルースのように 主題→展開→主題→展開と繰り返すのとは違い、展開が一回しかこない。
わかんないけど、特徴的な構成にするときは特徴的な構成にすべきときにそうすることが多いのでこの曲構成は仕組まれている気配をすごい感じる。
構成パート毎の特徴
箇条書きで書いていく
イントロ
- ストリングによる主題メロディ
Aメロ
- リズム隊を抜いた主題メロディ
間奏
- 楽器による主題メロディ
- リズムが入ってくる
Aメロ’
- 間奏からの継続でリズム隊の入っている主題メロディ
間奏’
- 1回目の間奏と大きな違いはないが、ストリングがかなり厚い
- ハイハットの刻みがここで4分から8分になる
- ひたひたと曲調が盛り上がってくる
Aメロ”
- 間奏’ の流れを汲んでいるため曲調の盛り上がってきている
Bメロ(サビ?)
- 唯一の展開メロディ。ここがサビっぽいように感じた。
- 一番盛り上がっている場所
Aメロ”’
- 主題メロディだが前半音が減り落差を作った上で主題フレーズがボーカルと楽器ともに決めフレーズをなぞる。この部分が落差を考えると一番の重要ポイントと考えて良さそう
- ボーカルがここでおわるため、主題メロディの後半部分が今までのAメロと違う展開フレーズとなっている。今までのAメロとの変化を強調したポイントとなる。
- 最後はSus4→ルートっぽく移動していて音としては何かを解決した感がある
アウトロ
- ルート音GとF#を1分間ほど淡々と繰り返していく。半音階の往復なので非常に暗い
- それを輪にかけるルート音をなぞりつつ少し展開するコーラスの声
- その輪にさらに輪を書ける激しいピアノのソロ。不安感やばい。
歌詞について
歌詞は載せられないので uta-netの歌詞のページをリンクします。
妻に話をしたらだから何?って言われてしまったので全く伝わらない気がするんですが、歌詞を読んでて怖くなった経緯を書いていきます。
前提でこの曲自体が不遇な関係性の歌詞で有ることを知らずに今回聞きました。ドラマの主題歌だったのは覚えてて歌詞とか見てなかった。なのでもともと知っている人からすると違う違うみたいな感じになると思う。
A, A’ のパート
問いかけっぽい歌詞。わりとちかい距離感(同じ部屋的な)で問いかけているような、ささやかなお願いをしているような印象。リズムのないパートだったので回想的な幸せな期間を噛み締めてるような感じなのかと思った。ここのメロディーとか演奏はさほど緊張感がなくて、間奏のストリングスが流れてくる前まではわりと日常っぽいだよな。ストリングスが強くなってくたびに謎の緊張感が迫ってくる感じがある。
A” のパート
「電話してくれたら」の部分で、あれ近くないね、距離と思った。走っていっちゃうし、これは相当会えて無いなと。あと時間的な変化がこれまでの歌詞にないのでここまでのパートはお気持ちの表明であってさっきのは回想では無い解釈が良さそうと気づく。何もかも放り出してしまうのでまじで切羽つまってる。まだかすかにだけど大好きすぎて電話かかってきちゃうと飛び出しちゃう感じの民の可能性は残ってる(だけどそれたぶん幸せな恋愛じゃないわな)。
Bのパート
このパートで報われないし、結ばれないことがわかってしまって、全然Aパートがささやかな回想じゃないじゃーんって確定してしまう。大好きすぎて飛び出しちゃう大塚愛的世界観系の民じゃなかった(それはそう)。
ここで使われる運命の人というフレーズは結構意思が固いと言うか、信じて疑わないというか、信じないわけにはいかないみたいなとにかく強い気持ちを感じる感じ。
サビっぽいだけあってここが一番に近いお気持ちの表明であることが曲調としても一番展開も含めて印象強くしている。とにかく強い気持ちが運命の人にかかってる。
A”’ のパート
もう一つの曲調の押しが強いところがここの「今日という一日が…」のところでいったんしゃがんで「おわるときに そばにいられたら」で思いっきり跳ねて強い気持ちを出してる。
曲調的に強いお気持ちが「運命の人であること」と「そばにいたい」の2つでぶつかってて「は?運命だったらそばにいられるだろうが?あん?」みたいな気持ちを、こうなんというかそれでも運命だということを信じるしか無いみたいな気持ちで抑え込んでる感じが、最後のもう一回繰り返す最後のフレーズの「この出会いに やさしいキスを これが運命なら」の歌い方、メロディの安定への持ってきかたにでてる気がする。
「やさしいキス」というのが何を示してるのかあんまり良くわかってなくて、雑に推測するに「証拠をくれ」みたいな感じなのかな…。仮にそれだと仮定してみると最後のフレーズは「これが運命なのであれば、この出会いが運命であるという証拠をくれ」って言っているように見える。
Bのパートで「運命の人」といっていた強い気持ちの運命と、最後のパートで「運命なら」で使っている運命は同じ言葉でも気持ちのののり方がだいぶ変わってて、運命というものにかなり弱気になっているのを感じる。同じ単語の使い方が変わっていることでここだけ時間的な変化が唯一感じられる。
Bパートを境にAパートの性質が変わっている。一つは↑の運命。あとは
「一日が終わるときにそばにいるね(A)」と「一日が終わるときにそばにいられたら(A”’)」とかは、Aが気持ちでA”’が事実に対する気持ちの要素が強くなっていて、AやA’のささやかなお気持ちの表明が、(一日が終わるときにそばにいられたことがないのであれば)それを淡々と信じるしかない、それをささやかに大事にする(しかない)狂気性がでてて「おぅふ」という気持ちが。
この最後のパートで気持ちの変化があって普通の曲調だったら大サビで別れるなり何らかの解決を図ってめでたしめでたしなのですがこの曲はあとはアウトロの感想で終わってしまいます。
アウトロ
ここは歌詞がないので、曲調をどう捉えるべきかという感じになると思うんですが、ひたすら暗いんですよね。この曲の中でもっとも暗い。ルート音の進行も半音をずっと上がって下がってを繰り返していて前に少し進もうとしてまた戻ったりを繰り返している。そのなかでピアノが激しく音階を登って下ってをしてうねるうねる。邪推でルート音が状況でピアノが感情なのを想像するのがかたくない。
曲を流し聞きしてたとき、ここ間奏で最後にもう一回Bパートが歌詞そのままで来ると思ってたんです。状況はどうあれ「たった一人の運命の人」で占めるのであれば心の中は善悪はともかく整理されているので曲としては終われそうだなと思ったんですが、改めて聞き直したらこのアウトロで終わってて、この物語にトドメを刺さないで終えるのをえらんだのかー吉田美和ー!と心で叫んだ。
自分の身の回りで不遇な恋愛をしている人の話を聞いていたときもだいたいわかっててもやめられないと言うか、正しいとかはもうなんの意味も無くなってたりする世界観をズルズル年単位でやってたので、吉田美和ー!!(または中村正人!!)となった。
ドラマの主題歌だしシングルカットされてる曲で、ここまで遊ぶというか、ここまで意図的なものを感じさせるというのはプロっというのは…。つか吉田さんこれ不遇な恋愛完全にしてきてますよね。
ということでドリカム怖いというお話でした。
備考
上記は完全に妄想なので僕らのインターネッツで拾った他の解釈も載せておきます。
- https://utazine.com/yasasiikisuwosite-kasi-imi/
- https://plaza.rakuten.co.jp/chikabu/diary/200708020000/
- https://www.uta-net.com/user/watafure/watafure_kekka.html?PID=978
考察を検索してたら、人間怖いってなってきた。
すごい久々に2000年代のウェブログっぽいことをした感じがする。