エンジニアとして信頼貯金を切り崩しながら生きている感覚

信頼貯金というものに明確な定義があるのかどうかわからないけれども、たとえば今まで働いてきた中で得た知見や実績、環境、関係性によって得た信頼みたいなものを信頼貯金と自分は呼んでる。しっかりと定義しているわけではないので、言葉そのもの「信頼」で受け取ってもらってもいいと思う。

今のお仕事

今はエンジニアリングマネージャーという役割をもっている。このマネジメントが意味するところは主に以下かなと思う。

  • 開発しているプロダクトのテクノロジーに関することの意思決定・説明責任
  • 責任を持っているチームのマネジメント(キャリア・目標設定・評価・査定 等)
  • 自チームと関連する部署とのコミュニケーションパス
  • 開発組織の体制に関するもの(組織体制・採用 など)

次のリーダーの人の権限を広げていくことも自分にとっては大事な役割かと思っており、上記にあげたものも一部おまかせしている部分がある。

マネジメントなるもの

自分がマネジメントで大事だと感じているものは以下だ(出来ていると言ってない)。

1. チームメンバーの権限を拡張して活躍の幅を広げてもらうこと(そして給与が上がる)
2. 働きやすい環境を維持すること
3. 少し先の未来に手を打つ活動をすること

すこい幅広な文言にしている。例えば1にはいざ会社を去ることになっても活躍できるようなキャリアや経験を積んでもらうということとかも含まれたりする。つまりはざっくりと「チームの個」「チームとチームの関連」「チームの未来」について考えることが多い。

信頼というもの

最近信頼というものについて少しだけ考えていたときに「知っていることについての信頼」「知らないことについての信頼」というところに思い当たった。

「知っていることについての信頼」はそのまんまだけれども、自身が関心があるためその領域のことについて知識があるためすごいと認めた人に対してわかるために信頼が積まれるというタイプのものだ。自分は高校からギターを少し触っているのだけど、中学生の時に聞いていたラルクのkenのギターが漠然とかっこいいと思っていた。高校・大学とギターを趣味でやるようになってから聞いたkenのギターは中学生の時に感じたものとは違う意味で凄みを感じた。この差分が「知っていることについての信頼」に当たるような気がする。

逆に「知らないことについての信頼」は、自身がその領域について知識がないがとにかくすげーぞと感じてしまうようなそれのことだ。上の例で言えば中学生の時に聞いたkenのギターがそれに当たる。

書いていてこの喩えが果たして適切かどうかわからなくなってきた。が書く手を進めてみる。

なんとなくなのだけれど、自分がプロダクト開発をしていたときにチームメンバーの人に感じていた信頼は「知っていることについての信頼」というものの比率が大きかったように思う。
一方、CTOとかCEOとかと話していて感じていた凄みみたいなものは「知らないことについての信頼」の比率が大きかったように感じる。

表題に戻るのだが、今自分が信頼貯金を切り崩しながら生きている感覚があるのは前者の「知っていることについての信頼」を切り崩している感覚がある。

「知っていることについての信頼」の切り崩し

私が所属している会社は自社サービスを開発している会社だ。サービスが中心にあって価値提供を行っている。

ちょくちょくいろいろな場所で喋ったり、書いたりしているけれど一緒に働いているメンバーは優秀な人が多く私より実装能力が優れているが多い。なのでエンジニアリングマネージャーになったときに早々に実装をおまかせしてその周辺からサポートに入ったほうが効率が良かろうと思って働いてきた。

するとそちらの方で任せてもらえる仕事の量が増えてきて、やっぱり手を動かすというところからははなれていくわけです。
コードを書く身としては寂しいものもありつつ、優秀なメンバーは増えていきプロダクトは成長するのでそのへんの感覚としては寂し、嬉しという感じになってきます。

プロダクトの成長を喜ぶと同時にだんだんコードに対して鼻が効かなくなる感覚が強くなったり、時間的な制約でおまかせしないといけなかったりしていく。開発メンバーとしての自分が「知っていること」というのは比率が落ちていく。

注力していること

その他方で自分が興味を持っているというか時間を費やしているのが採用や組織というところだ。自分の感覚だけれど会社として時間を割く価値がある部分と感じていることと触れてみると意外と自分の興味が強い部分でもあった。自分の周りにこのあたりに強い興味を持っている人が少ないこともありふれさせて貰う機会が多い。

ここはまわりまわってチームのみんなが楽になったり楽しくなったりするところだと思うので、まだ未熟でしか無いが頑張りたいと思っている。

自身の信頼ポートフォリオをどう振るか

今回記事を書いたのは、現場の開発者としての信頼の切り崩しについて悩ましいながらも生きていることについて記録を残しておきたいと思って書いた。

書いていて身の回りのマネージャー(特にシニアマネージャー)は、具体と抽象を上手に行ったり来たりしており私自身のただただ能力のなさなのでは?と思わないこともない。

もっとうまくできることがあるはずなのでそれは頑張りたいと思うが、自分はあくまでも自分でしかないため、今の精神練度で無理しすぎると家庭に影響が出そうでよくないとも思っている。

そういった限りある時間の中で、自分が組織の中で負っている役割を全うする上で「知っていたことの信頼」を回復するのか、「知り始めていることの信頼」を育てるのか、「周りが知らないことについての信頼」を突き詰めて行くのかというのは立ち止まって整理しなければ…とおもいつつ日が過ぎている昨今だ。

最後に

自分は組織の中で自分が大事だと感じているところで少しでも助けになりそうであれば頑張ってみる。キャリアは考えてもしょうがないので考えないというのが姿勢なので、引き続きメンバーの信頼を裏切らないように自分が大事だと思うマネジメントについて深ぼっていきたい。