1月が終わりまして、31日の今日、私の会社では結構大きめの発表があり、ちょこっとバタバタした一日でした。twitterを見ているといろいろな人がいろいろな感想を口々に仰っていて自分たちが想像していたよりも大きな反応があったように思います。私は何かをしたわけではないですが、気持ちとしてはワクワク・ふわふわしたりしていました。
このことについてはここで書くような特に語るべき言葉を持ちません。でも名前については自分の気持ちをつらつらと書いておこうと思いキーボードをカタカタしています。
企業とかグループにとって名前は本質じゃない(名前が成果を出してくれるわけではないという意味で)と思うんですが、自分にとっては結構気になるポイントだったりします。
名前っていろいろなものについて回るもので、識別されるものは名前と切り離して認識というのができないんじゃないかなと思います。「名は体を表す」と日本の言葉がありますが名前というのは何か形作られるものがある気がします。
mixiは会社名イー・マーキュリーからミクシィに変わりました。mixiというサービスが大きくなったため「会社名よりミクシィの方が名前の通りがいい」とか「実質mixiが事業の中心」とか何らかの理由があって名前が変わったんじゃないかなと思います(本当のところは知りません)。そんな感じで実態に合わせる感じで名前が変わったりとか、もしくは今後の戦略上都合が良かったりとかそういうことがあるんだろうなと思っています。これはものすごく正しいし、すごく整然としていて納得ーという感じです。
イー・マキュリーってどういう思いで付けられた名前なのでしょう。きっとこの名前をつける上で目指す世界があったり、思いがあったりしたんじゃないかなと想像します(もしかしたら無いかもしれませんが)。
会社名を付ける感じって、バンドの名前を考えるのにすごい近いんじゃないかって思っています。やっぱりかっこいいのが良いし、名前被りたくないし、端的なのがいいし、覚えてもらいやすいのが良いし。必要に迫られてなんとなくつけたりもあるかもしれません。とにかくエピソードが1つや2つありそうですよね。
そんなわたしはmixiとは何の関わりもないわけなんですが、務めている会社の名前が2/1付で変わりました。上記の例のように会社名がサービス名に変わりまして、これはすごく合理的で正しい判断で自分も「うんうん。確かに」と納得しています。良い。
一方で正しいとは全く別なベクトルで前の会社名に愛着があるのもまた本当のところです。まだ1年半ぐらいしかいないので他の人に比べたら愛着なんて語るべきものではないかもしれません。ごく個人的な気持ちですが、簡潔で英語もカタカナもバランスがよくて、後付の名前の由来が深いようで実は本当の名前の由来は悩んだ末の思いつき(天命?)だったりとかサービス名とは特に関係ない感じが良かった。
名前が明確で端的で意味が通るものということは、その名付けられた者は明確で端的で意味が通るものとして認識されやすくなります。そのために名づけられたので。逆に明確な意図が付けられていない名前は、明確な意図を持たないまま存在できるのかもと思ったりします。制限がないと言いかえても良いかもしれません。
繰り返しますが、何が良いとか悪いとかそういう話ではなく、名前っていうのは意図をとても反映するものだなということを考えていました。そして私は昨日まで使用していた名前をとても好んでいたのを感じました。それは今まで会社が積み上げていたブランディングや社内の人柄とかもろもろの影響を多分に受けているのも感じました。
今日から 2/1 何かが大きくいきなり変わっていくわけではありませんが、そんなことも心に留めながら、新しい名前を愛着していきたいというそんな気持ちです。
名前は大事。